老後って何 〜確定拠出年金の巻〜

老後って、なんでしょう。

今や人生100年時代。20代後半の私たちとなりゃ、110、120年時代・・・?

疲れるなぁ〜。疲れますよ。

 

先月、新卒後3年勤めた会社を辞め、東京(正確には川崎)から地方の実家へ戻ってきた。

退職の理由、表向きは「教師になるため」(たまたま教員免許持っていたので、適当に結び付けた)。本当の理由は、「上司(確実にADHD)のパワハラ、向いてない仕事の数々(理系商材、肉体的負荷)、あとは社内の士気低下」。

正直疲れて限界だった。毎晩のように母にLINEで鬱憤を吐いていた。

今まで感じたことのない、「死にたい」ほど辛い日々が続いた。

 

退職の手続きは本当に面倒なもので、私みたいに心を半分病んで出て行く人にとっちゃ(そうでない人もだけど)、もうちょっと簡素にしてよ〜タダでさえ辛いんだから、というのが本音で、それは数週間に及びました。(基金とか財形とか持株会とかetc.)

その中でも一番ややこしかったのが「確定拠出年金」。

入社時に企業型のこれに加入させられるのだが、退職すればその資格を喪失するため、

個人型(いわゆるイデコ)へ移管手続きせねばならんというもの。

 

「年金」という考え方は嫌いではない。要は、未来のための貯金。

それに資産運用の要素を加えたこのイデコにも何の異論もない。

金がないよかぁ、あったがマシ。

国の年金だけに頼ってちゃ「とんでもない」ご時世ですもんね。

 

けどさぁ、、(ここからは超個人的な鬱憤です)

今でさえ、明日、明後日を元気に生きる希望が見出せなくて、辛いのに。

移管のために開いたHPを見ると「リタイア後30年のお楽しみ予算」ですって。

う〜ん。何というか。。そーゆー気分になれない。今。

これから楽しいことなんて起きるんだろうか?(典型的、鬱的発想。笑)

日々、惰性的に生きている自分。

一応キリスト教徒なので聖書や、信仰(神様がいて、守ってくれること)に救われている部分はある。

けれども、何か足りない、前に進まない、よろこびがない、、

ひたすらに「悲しい、辛い、なんもない」気がする毎日。。。

 

読書によって、励まされたり、パンチラインを見つけたり、

長年の友達と電話して、気分が前向いたり、共感し合えたり、

そういういいことがあっても、風化してしまう。

 

つらい。

 

今はそんな気分が立ち込めていて、

彼氏もいないし、仕事もないし、心から大好きと思える友人もいない。

感謝できるのはこのコロナ渦で毎日たくさん寝て食べて、音楽聴けることくらい。

 

なんかまとまらない内容になってしまったが、

こんな希望を持てない時、前に進むには多大なるエナジーが要るよなあってことです。

 

そんなエナジーが与えられるよう、祈る(一応クリスチャン)日々。